こんにちは~(^-^)/
嫁活サボってた、ミッキーです←あかんやん
8月末にめまいをおこして、9月半ばに再発して、9月下旬に姑から誕生日祝いの電話をもらったんだけど、
お義母さんに、めまいのことを話したらびっくりされて、めまいが再発したら怖いのでしばらくは家でゆっくり休養します~と、
大嘘をついておりました ←出かけまくってたやん
たまにはおサボり必要(笑)
さて、11月になり季節も良くなったので、そろそろ、姑と遊んだろか 嫁活しようかなと思い、姑と二人で京都へ行ってきました~↓
まずは出町柳駅から徒歩10分くらいの紫式部の邸宅阯と呼ばれる、廬山寺へ初訪問♪↓
こちらで源氏物語を書かれたそうですよ~♪
ちょうど秋の特別拝観で、明智光秀の念持仏を見ることができました♪↓
拝観料は800円でした♪
まずはお寺で参拝♪↓
残念ながら写真撮影は、お庭のみ♪↓
源氏庭と名付けられたお庭、とっても広かったです~↓
ホームページから↓
紫式部が育ち、未婚時代を過ごしたのは堤第といわれた藤原兼輔(紫式部の曽祖父であり、堤中納言といわれる)が建てた邸宅であり、父・為時の邸宅においてでした。この邸宅で結婚生活を送り、一人娘の賢子(かたこ)を育て、源氏物語を執筆したのです。
それは平安京の東に接した中河と呼ばれる地にあり、現在の廬山寺の境内を中心とする処に営まれていました。
昭和40年11月、廬山寺の境内に紫式部の邸宅址を記念する顕彰碑がたてられるとともに源氏庭が整備されました。 また、源氏物語の花散里の屋敷はこのあたりであったといわれています。
昭和40年11月、廬山寺の境内に紫式部の邸宅址を記念する顕彰碑がたてられるとともに源氏庭が整備されました。 また、源氏物語の花散里の屋敷はこのあたりであったといわれています。
源氏庭は平安朝の庭園の「感」を表現したものであり、白砂と苔の庭です。源氏物語に出てくる朝顔の花は今の桔梗のことであり、紫式部に因み、紫の桔梗が6月末から9月初め頃まで静かに花開きます。
ちょうど桔梗がまだ咲いていて、少し紅葉がかった木とコラボしてるのは珍しいそうです♪↓
とても素敵なお庭でした♪↓
明智光秀の念持仏はもちろん写真がダメ。↓
念持仏とは、個人の身近において日頃の信仰礼拝の対象とする仏像。
戦乱時は、陣中で護持したところから陣仏、遊行などに持ち歩いたりもしたそうです♪
なぜ明智光秀の念持仏があるかというと、ざっくり説明すると、信長の元亀2年(1571)比叡山焼き討ちの後で延暦寺の末寺として廬山寺を攻めようとした光秀に、
正親町天皇が廬山寺は戒律を守る寺であるため焼き討ちしないように求めた「正親町天皇女房奉書(重文)」を授け、廬山寺は焼き討ちを免れたそう。
そのご縁から廬山寺へ念持仏を預けられたとされているそうです(チラシから抜粋)↓
廬山寺って、元々紫式部の曾祖父が建てた邸宅でその後紫式部は、この邸宅で育ち結婚して、一人娘の賢子を産んで59歳ほどで亡くなったそうです♪
紫式部は、日本人で唯一「世界の五大偉人」に選出されているそうです(チラシより抜粋)
姑が、来年の大河、明智光秀なんよ~と喜んでいたので、連れてきて良かったわ(笑)←そこかよ
さて、廬山寺の見学後は、うどん屋さんに行ったら臨時休業
仕方なく別のお店を探すことに♪
ちょうどセカンドハウスが見えてきたので、ここでランチすることにしたよ♪↓